欠けてる=失っていると 思い違いをしているだけという怖い話

昭和の劇作家
寺山修司先生の言葉をご紹介します。
悪口の中においては、
常に言われている方が主役であり、
言っている方が脇役であるという宿命がある。
説明不要でしょうか?
悪口を言うなという戒めではありません。
悪口を言ったっていいんです。
私劇場の舞台なのに
私が脇役でよければです。
自分のかけている部分は
欠点と呼ばれますね。
欠点上等!
月が欠けて見えても
実は丸いんです。
なので、
欠点は
私の一部に過ぎない。
光が当たれば光るし、
たとえ暗黒に包まれても、ある。
存在するんです。
じゃあ、
あるんだねー!
って気づいてあげればいいんじゃない?
欠けてる=失っていると
思い違いをしているだけ
冒頭の「悪口」の話も
実は同じで
あの人の悪口は「自己投影」でしかなくて
見えていない部分は「私の中に存在する」
そして、
あの人のせいにしているだけで
本当は欠点を直視していない私がそこにいる
だんだん恐ろしい話になってきましたね。
混乱していますか?
私が学んでいる陰陽五行の中で
この哲学を深掘りしていますが
結局のところ
好きも
嫌いも
北極も
南極も
真ん中を確認するには
いづれも「極」がないと真ん中は存在できない
バランスが取れた「中庸」のマインドを得るためには
ここを見ていけば、良いということなんですね。
アウェイクニングの技法で。
そして、もし、あなたが
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深すぎる言葉が届きます。
ついでに言うとさ
私も嫌いな人がいてね
嫌いというか
つい目について悪口言いたくなる人
だから、思い切って
Facebookのフォロー外したw
じゃ、またね!